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FM-77他新機種(月刊ASCII 1984年6月号3)ASCII EXPRESS [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

ASCII EXPRESSに掲載されたパソコンの記事をスクラップする。
新機種について。

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FM-77とFM-NEW7。全然覚えていない。このころもう8ビット機は眼中になかった。

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FM-77の本体。

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FM-NEW7の本体。

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FM-77, FM-NEW7の機能と仕様。

続いてApple IIc。
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ASCII1984(06)p139AppleIIc写真W520.jpg
思うにApple社のパソコンはボディデザインが美しい。Apple社のファンはパソコン以外の製品も発売されるとすぐに買っていた。気持ちは分かる。

ハンドヘルドコンピュータといえばエプソン。
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ASCII1984(06)p140エプソンHC-88写真W519.jpg
日本語入力に「タッチ16」形式を採用したバージョンもあった。36年前から思っていたのだがそんなにキーボードを打つのが嫌なの?キータッチしていて楽しいと思わないの?まあ、一般人は楽しくないのだろう。なら、楽しくないことをしてまでもパソコンを使わなければならないの?と疑問に思っていた。プログラミングをするホビーストとしては、特殊な日本語入力を覚えるより、ローマ字カナ変換を用い高速にタイピングする練習をした方がいいのではないかと思っていた。

SONYのSMC-777C。
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ネーミングに困って数字を増やしていくが、限界だろうか最後にアルファベットを使っている。
168,000円は高いと思うが、36年前は妥当なところだったのだろう。

シャープのMZ-1500。
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クイックディスクという変わったフロッピーディスクを採用した。カセットテープの代替品としてだろうが、アナログレコードのようにシーケンシャルデータを読み書きしている。ファミコンにも採用されていた。

最後は東芝の機械。
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そうだったか。MSXパソコンは、コンポジット出力でTV画面を利用していたんだ。ファミコンとかゲーム機レベルであったのか。パソピアIQはアナログRGB主力ができるということが売りだったのか。月産1万台を予定していたとは、36年前の新機種の登場間隔から考え、多いのか少ないのか微妙なところだ。






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広告その2(月刊ASCII 1984年6月号2) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

前回に続いて広告の中でさらにスクラップしておくべきだと判断したものをここに置く。

表紙見返しからPC-100とPC-9801Fを広告文を読めるようにした。
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PC-100はフロッピー内蔵でMS-DOS(Ver.2.01)、ワープロJS-WORD、表計算ソフト(36年前は簡易言語と呼んでいた)MUTIPLANがバンドルされているのが売り。ディスプレイを縦に置いて先進的な使用法。
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2機種のうち勝利したのはPC-9801F。フロッピー2台内蔵のPC-100が448,000円、PC-9801Fが398,000円。だがPC-9801FにはDisk Basicがバンドルしているのみ。違法コピー可能な市販ソフトの多さで差が付いたのか。36年前既に既に違法コピーソフトが蔓延していたか?記憶では違法コピーはPC-9801VMの登場のころが花盛りだった。

フロッピーディスクの規格対決。
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勝利したのはSONYの3.5インチ。勝った方はキャッチフレーズのみで広告文がない。

別に勝負しているわけではないが同じようなコンセプトの広告。
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なぜ、女子をアピールする?36年前の感覚が思い出せない。

ワープロ2製品。これも別に対決しているわけではない。36年前の価格の相場が分かればという思い。
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ついでに高額な「株価チャート」はともかくとして「漢字サブルーチン」が気になった。一体何だったんだろうか。
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音楽系はYAMAHAの独擅場。
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パイオニアのレーザーディスクとMSXの写真を切り取る。
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ポニカの広告から気になったゲームを切り出す。
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36年前からメディアミックスがあった。著名な作品のゲーム化がされていた。

最後はWindowsの広告から。
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広告文から引用する。
MICROSOFT WINDOWSはMS-DOSTM2.0の延長上に位置づけられ、最も進んだパーソナルコンピュータの操作環境を提供するものです。MS-DOSにWINDOWSを加えることによって、マルチウィンドウ、グラフィックスなどの機能が追加拡張され、複数のアプリケーション・ソフトウェアが、一つのスクリーン上でデータ交換しながら次々と実行できるようになります。さらにWINDOWSを採用しているパーソナルコンピュータであれば、ハードウェアの違いを気にせずにアプリケーション・ソフトウェアを自由に組み合わせて使用することができます。MICROSOFT WINDOWSはインテグレーテッド・ソフトウェア環境を、パーソナルコンピュータに提供する―――すなわちパーソナルワークステーションを実現するためのソフトウェアです。
これが売りだった。しかし、動くということと使い物になるということは違うのだ。
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さらに説明を引用する。
スクトップイメージのマルチウィンドウとインテグレーテッド・ソフトウェア
MICROSOFT WINDOWSはパーソナルコンピュータの同一スクリーン上に、複数のアプリケーション・ソフトウェアを分割表示します。ユーザーはそれぞれのプログラムをスクリーン上で同時に参照しながら、順次実行することができます。またプログラムを終了させない限り、各プログラムに対するウィンドウ、アイコンは常にアクティブです。
自動タイリング(画面分割):自動タイリング方式を採用しており、ウィンドウをオープンすると自動的にスクリーンが分割され、各アプリケーション・ソフトウェアが表示されます。その後各ウィンドウの位置、サイズは自由に変更することができます。この方式により、全画面を無駄なく使うことができ、ウィンドウをオープンするごとに位置やサイズをいちいち考える必要はありません。
アプリケーション・ソフトウェアはすべてのハードウェアに対してコンパチブル
MICROSOFT WINDOWSは、特定のハードウェアのために開発されているわけではありません。WINDOWSがMS-DOSに組み込まれているパーソナルコンピュータであれば、WINDOWS用のアプリケーション・ソフトウェアはすべてそのまま動かすことができます。ユーザーは特定のアプリケーション・ソフトウェアがハードウェアの違いによって使えなくなる、ということを考える必要はありません。
コンポ感覚で使えるインテグレーテッド・ソフトウェア
MICROSOFT WINDOWSはインテグレーテッド・ソフトウェアのためのオペレーティング・システムです。アプリケーション・ソフトウェアを含んだ統合ソフトウェア・パッケージではないので、ユーザーは自分の業務に合わせたアプリケーション・ソフトウェアをステレオ・コンポ感覚で自由に選んで使うことができます。また各々のプログラム間でデータ交換が行え、例えばマルチプランのデータをワープロソフトに受けわたして、報告書を作成することができます。
ANSI標準グラフィック・インターフェースをサポート
MICROSOFT WINDOWSは強力なグラフィック機能を提供するGraphics Device Interface(GDI)を備えています。ビットマップグラフィックディスプレイ、プリンタ、プロッタ等の出力装置に対するグラフィック出力は、ハードウェアが異なっても共通のコマンドで行うことができます。アプリケーション側もハードウェアの違いを気にしてグラフィック命令を出す必要はありません。ビジネス・グラフや緻密なグラフィックスなどをスクリーンに表示したり、プリントアウトする場合に、GDIは威力を発揮します。
簡単な操作をスピーディーに行うマウスとアイコン(表示シンボル)
マウスでアイコンをポイントするだけで、プログラムの切換えやメニュー選択などをすばやく行うことができ、仕事の効率化がはかれます。アイコンはどなたでも簡単にプログラムを実行できるように考えられた表示シンボルです。マウスやアイコンはWINDOWSを使いやすくするために欠かせない、パーソナルワークステーションの必需品です。
安価なシステムで使えるWINDOWS
MICROSOFT WINDOWSはMS-DOSマシンで使うことができます。高価なハードディスクは必ずしも必要としないため、ほとんどの16ビットパーソナルコンピュータで使用可能です。
WINDOWSを動作するために必要なハードウェア
●CPU:8086/8088(8MHz)
●256Kバイト以上のRAM
●ビットマップグラフィックディスプレイ・マウス
●フロッピィディスクドライブ2台(360Kバイト)
最後の部分。互換性を売りにしている部分。いやいや。これならPC-9801が天下を取ることはなかったでしょう。何を言っているんだか。広告文とはこんなもんだ。36年後の後出しジャンケンだが、この広告は嘘はついていない。使い物にならない製品を売っているが、繰り返すが嘘は言っていない。広告を見て買うことの危険さをこの広告を示している。今でもこれに類する広告があるので要注意である。これを読んで学習しておく。

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広告パソコン本体など(月刊ASCII 1984年6月号1) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

もう一度読み返し、スクラップする。広告を見ていると懐かしくなる。記事よりも広告の方が面白い。
ASCII1984(06)表紙表裏w520.png
(表紙表裏)

【月刊 ASCII 1984.6 広告】


6月号の広告から、まず表紙見返し。
ASCII1984(06)表紙見返しw520.png
パソコン王者のNECのシリーズは表紙見返しの好位置を確保している。

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PC-9801とビジネスソフト。パソコンの使われ方が趣味から仕事に変わっていった。

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PC-6601は安くてもワープロもできると売っている。子供がパソコンを欲しがっているとき、親にゲームだけではなくワープロもできるよと言っていたのだろうか?

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シャープのMZ-5500は宍戸錠が渋い。格好いい。パソコンが目立たない。宍戸錠に食われている。
次ページのX1cは前月と同じなので省略。

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シャープの宍戸錠と比較して東芝は某親子が小さくなっている。もう消えてもいいのでは、いつまで載せたのだろうか。

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YAMAHAのMSX。YIS503。ワープロにも拡張できるとの広告でどれだけの人が期待して購入したのだろうか?

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左ページがナショナルの3インチフロッピーディスクドライブ。残念デバイスだった。

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ビクターのMSX。記憶にない。36年前の私に覚えてももらえなかった残念マシン。

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林真理子女史の迫力が凄い。

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タモリでFMシリーズ2連続。

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FMシリーズの拡張機器一覧。

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トップアイドルの松田聖子を起用したSONY。力の入れ方が違う。某親子を採用した東芝は猛烈に反省すべきであった。「私より、ちょっと賢い。」これはちょっとじゃなく凄く賢いとの突っ込み待ちか?

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遅れてきた8ビット機のS1。結局ソフトハウスがゲームやアプリを作ってくれないとダメなんだ。当時は、そういう開発資源はNECのマシンに注力していたのでS1はハードウェアが良いだけの機械になってしまい成功できなかった。

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エプソンはマチャアキを起用した。36年前はハンドヘルドコンピュータといえばエプソンの独擅場だった。複数の知人がこれを使っていた。

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左ページはエプソンの規格でESC/P。escapeではなくEpson Standard Codeなのだそうだ。あったようなおぼろげな記憶がある。
右ページは東芝の16ビット機。だだまだダメ機械だった。

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レーザーディスクを使ったゲーム等があったのだろうが、ショップでも動いているところを見たことがない。

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真っ赤なMacの広告。「21世紀の天才パソコン、マッキントッシュ」だそうだ。

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右側は36年後の2020年に亡くなられた野村克也さんのゼロックスのパソコンTALK560の広告。CPUは68000とZ80Aを使っていた。

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maxellは漫画家シリーズから大島渚氏に変更した。

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コンカレントCP/Mもしっかり広告していた。

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ポニーキャニオンのゲームソフトの広告。36年前のゲームタイトルが懐かしい。しかし、ゴルゴ13は36年後今でも現役とは凄い。

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MS-WINDOWSのイメージカラーは黄色なのか?

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SONYが勝利した3.5インチフロッピーの広告。

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白黒ページの広告。藤本義一氏。

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タケシが出てくるといかがわしさが感じられる。

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Adaらくらく受かるからだ(月刊ASCII1984年5月号5)特集 [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

特集の2番目はAda。小樽商科大学の戸島煕先生(当時)が執筆されていた。読み返すとスクラップしておきたくなった。

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タイトルの「Adaらくらく受かるからだ」はローマ字に直すと「ADARAKURAKUUKARUKARADA」で回文である。

Adaの命名の由来についてはスクラップしておくべきだ。
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一部抜粋
 S「説明と言っても受け売りにすぎませんが,Adaは,Ada Augusta,Countess of Lovelace,つまり,ラブレス伯爵夫人エイダ・オーガスタのことです。エイダは英国の有名な詩人バイロンとアンナ・イザベラ・ミルバンクとの間に生まれました。バイロンとミルバンクは1815年1月2日に結婚し、エイダは同年12月10日に生まれております。ところが情熱の詩人バイロンと詩人,数学者,哲学者であったアンナとの結婚生活はかなり異常であったらしく,アンナはエイダを生んでからほどなくバイロンと離婚しております」
 U「異常とはどういうことですか?」
 T「Uさんはすぐそういうことを気にしますね」
 U「さっきの仕返しですか?」
 S「腹ちがいの姉が同居していて、バイロンとはバイロンがアンナと結婚する以前から関係があったようです」
 U「なる程.アンナはいや気がさしてバイロンと別れたわけですか」
 T「すると,エイダはどうなったのですか?」
 S「アンナの実家で育てられることになりました.エイダは長ずるにおよび,母ゆずりで数学に非常な才能を見せたといわれます.エイダに数学を教えたのは例のド・モルガンの法則で有名なオーガスタス・ド・モルガンでした」
 T「M君,ド・モルガンの法則を知っていますか?」
 M「ええ,論理学の時間に習いました.“かつ”で結んだ命題全体の否定は、ひとつひとつの命題を否定したものを“または"で結んだ命題にひとしく,“または"で結んだ命題全体の否定は,ひとつひとつの命題を否定したものを“かつ"で結んだ命題にひとしいというものです.つまり,『Prolog講義』(本誌,1984年2月号掲載)の記号を使用すると図1のようになります」
 T「“かつ”を積集合を作ること,“または"を和集合を作ること,否定を補集合を作ることと読みかえますと,集合論におけるド・モルガンの法則が図2のようにえられます」
 S「ド・モルガンはロンドン大学の数学教授をしていました.さて,エイダは1835年7月にウィリアム・キングと結婚しています.このウィリアムがのちにラブレス伯爵となるわけです」
 T「図3におそらく伯爵夫人になってからのエイダの肖像画と思われるものを掲げておきます。なかなか美人でもあったようですね」
 S「このほかにも知られている肖像画がありまして,それは正面切って描かれております.そのためか図3とはすこし印象が違いますが,知的な美人という感じが伝わってきます.ところで,以上は19世紀の話ですが,ここで突然計算機が飛び出してきます.それはチャールズ・バベジ(1791-1871)の階差機関と解析機関です」EU「バベジもだいぶ変わっていて一生独身であったようです」
 T「Uさんの好みの話ですね.しかし,エイダと親しくなったわけですから,それほどバベジも変っていたとは思えませんよ」
 U「美人の伯爵夫人となるとまた話は別です」
 S「まあ,まあ,あまり話の腰を折らないでください.バベジは1822年に階差機関の構想を立て,1835年には解析機関の構想を立てています.これらはいずれも関数表を作るための計算機です.ことに後者は式の値の計算も可能な全自動計算機で,今日のプログラム制御式計算機の原型をなしているといっても過言ではありません.これはミルという演算部,ストアという演算結果貯蔵部,コントローリング・メカニズムという実行過程制御部の3部分からなっており,50桁1000字を記憶できるようになっておりました。特筆すべきは、オペレーション・カードとヴァリアブル・カードという2組のパンチ・カードがこの計算機を制御するようになっていたことです.これは当時,織物の模様織りに使っていたジ|ャカード・カードからヒントを得たものだといわれています.
 バベジは1828年から1835年まで英国のケンブリッジ大学の数学教授でした.晩年にはイギリス政府の援助をうけて解析機関を実際に作ろうとしましたが,遂に完成しませんでした.これはバベジが数学者で技術的知識が乏しかったことと,当時の工作技術の水準が低くバベジの構想に技術が及ばなかったことなどが原因です.しかし今日の観点からすると,構想だけとはいえバベジの着想は驚異以外の何物でもありません.
 ところで,1840年にバベジはイタリアのトリノで解析機関について講義をしました.それを士官学校の先生をしていたメナブレアが講義録にまとめて,1842年にスイスのジュネーブから出ていた雑誌にフランス語で発表しました.これをエイダが英語に翻訳したのです」
 U「それがエイダとバベジの出会いのきっ|かけになるわけですか?」
 S「そうです.そのことを聞いたバベジはエイダに解析機関の利用法,つまり,ソフトウェアについて注をつけるように勧めたのです。もちろん,エイダはそのことを承諾し,2人は注につける例題を選ぶことになりましたが,最終的にはエイダが例題をきめ計算法までも検討したといわれております.エイダの注のついた翻訳論文は1843年にTaylor'sScientificMemoirsに発表されました。時にバベジ51才,エイダ28才でありました.これで天才バベジ,才媛エイダ出会いの一幕の全巻のおわりであります」
 T「Sさんの名調子でしたが,こんなわけでエイダは世界最初のプログラマではないかといわれております。もっとも,解析機関が実際にあってそれを使用したわけでありませんので,今日の意味でプログラマといえるかどうかはわかりませんが,解析機関というハードウェアの仕様があり,それに即して例題の計算法を考えたのですから,やはりプログラマという呼び方がもっともエイダに対して|ふさわしいと思います。このような次第でプログラミング言語のAdaは世界最初のプログラマであるラブレス伯爵夫人の名前からとられたのです。
36年後に読んでもなかなか面白い。さすが、戸島煕先生である。

続いて「Ada制定のいきさつ」だが、こういう内輪話のようなものは面白い。
一部抜粋
 Ada制定の立役者は米国国防総省(theDepartmentofDefense)です。以下,国防総省は頭文字をとってDoDと言うことにします。DoDは1974年に委員会を発足させて、組み込み型計算機システムの新言語の制定に乗り出しました.ここで組み込み型計算機と言っているのは,大は兵器システム,通信システム,指揮系統システム,シミュレータなどの制御システムに組み込まれている計算機からはじまって,小はマイクロコンピュータに至るまでDoDが使うすべての計算機を指します。従来,DoDで使われていたプログラミング言語は各システムによって千差万別で,そのためDoDはそれらの言語の開発と保守のために莫大な予算を計上してきました。プログラミング言語が統一されると,こうした開発と保守のために要する手間が一挙に軽減されることになりますから、大幅な費用の削減が可能となります.DoDの狙いは明らかにこうした合理化にあります。
 そして,DoDは国防総省指令で,新規防衛システムの開発はDoDが承認した高水準プログラミング言語で記述すべきであるとしたのです.そして暫定的にFORTRAN,COBOLをはじめとする7つのプログラミング言語を承認言語として指定しました。新言語に関しては軍・学会・民間に対して広く意見調査が行われて,その結果が要求仕様書にまとめられております.要求仕様書は何度か改訂が行われましたので,それを区別するために要求仕様書には古いものから順に次のような面白い副題がつけられています.
 STRAWMAN
 WOODMAN
 TINMAN
 IRONMAN
 STEELMAN
 これらのうち最後のSTEELMANは1978年6月に改訂されました.これらに従って既存言語のいくつかが詳細に検討されましたが,結局要求仕様書をみたす既存言語は存在しないことが確認されました。そこで,1977年7月のIRONMANの仕様による予備設計が次の4つの機関に競争委託されることになりました。このあたりは費用がいくらかさんでも結局よいものが作られればよいという,アメリカ流のやり方だと思います.
 CIIハネウェル・ブル社
 インターメトリックス社
 ソフテック社
 SRIインターナショナル社
 これらの各社の設計書は機関名をかくすために表紙の色により、GREENREDYELLOWBLUEという名称で区別されました。今日では上に述べた会社がその順で各名称に対応していたことが周知となっております」
 T「つまり,CIIハネウェル・ブル社がGREEN,インターメトリックス社がREDというわけですね?」
 U「そうです.さて,この4つの仕様書が次の6人によって審査されたのです.
 デビッド A. フィッシャー
 デビッド グリース
 ブライアン R. カーニハン
 ジョン レイノルド
 フィリップ R. ウェザオール
 ウイリアム A. ウルフ
いずれも計算機のソフトウェアに関しては経験豊かな錚錚たるメンバーです。計算機を専門にしている人でこの6人のうちの1人も知らない人がいるとすれば,その人は“もぐり”といってもよいでしょう.K君,君は何人知っていますか?」
 K「僕は“もぐり”のようです」
 U「M君は?」
 M「コンパイラの本のグリースとソフトウエア・ツールの本のカーニハンの2人しか知りません」
 U「結構です。両方とも日本語に訳されていますからね.読みましたか?」
 M「ソフトウェア・ツールの方をすこしばかり......」
 U「ところでこれらの6人がくだした結論はこうでした。すなわち,GREENは続けBLUEは中止しREDとYELLOWはどちらかを続けよ、というものです.そして最終的には新言語の第1候補がGREEN,第2候補がREDと決りました。それと共にIRONMANの不備も改められてSTEELMANとなり,その仕様に基づいて約1年間作業を続けた結果、1979年5月にGREENが正式に採用されることになって,すでに話題となったAdaという名前がつけられたのです.このようにAdaの言語設計はCIIハネウェル・ブル社によってなされました。その責任者はJ.D.イシビアでしたが,彼は現在はアルシス社におります。まあ、こんなところですね」
 T「どうもありがとうございました.UさんはAdaに関心がないと言いながらなかなかよくご存知のようです。私から少し補足しておきましょう.公表されたAdaの仕様に対しては,世界の15ヵ国から900件にも達する批判や提言がよせられたと報告されております.この15ヵ国の中には日本もふくまれています.これらを反映した形でAdaの大規模な改訂が行われ,1980年7月に“Ada基準文法書”が公表されました.その後もAdaに関しては各種の意見の集約が引き続いて行われ,その結果がAdaの2回目の改定となり,1982年7月にAdaの米国規格草案が公表されました。そして,1983年2月にこれがAdaの米国規格として認定されております.
 このように,Ada成立の背景に多くの批判と提言があるのがきわめて大きな特徴です.それはAda制定の主体が巨大な影響力を持つDoDという機関であることと,DoDの委員会のワーキング・グループや言語の設計グループが,実際に各方面に協力要請をしたことなどが原因と考えられます.こうして,Adaはコンピュータ・サイエンティストが総力を結集した80年代の最新言語という外観を呈しております。くりかえしになりますが,この“総力結集”ということもDoDだからこそ実現したのだと思います」
36年前は良いアプリを作るには良いプログラム言語が必要だということで研究が進んでいた。プログラミングは科学であった。これもハードウェアが貧弱だったからソフトウェアでカバーしなければならなかったためだった。今はハードウェアが凄いことになっているのでお気楽な言語、簡単な言語で済むような時代になった。いわばAdaのような美人ではなく、地元アイドル程度で良くなったということ。

記事ではAdaとPascalの比較からTurbo Pascal と Pasca/MT+の比較が出てきた。

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私は16ビットのTurbo Pascalから使ったが8ビット版があったとは36年後の今知った。PascalはP code コンパイラなので遅いというイメージがあってマシン語にコンパイルする16ビット版Turbo Pascalが出るまでは歯牙にもかけなかった。Z80のマシン語ならコンパイラより高速なコードをアセンブリ言語で書くことができたから。
36年後は約1000倍のクロックで動くマルチコアの64ビットCPUを使ってプログラミングしているのでもはやプログラミング言語は、自分が使いやすいものを使うのが吉。36年前はCPUの進歩を熱望していたのに今は食傷気味になるとは、なんという時代になったのか。


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Windows(月刊ASCII1984年5月号4)特集 [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

ASCII1984(05)c01WINDOWS1-2W520.jpg
1984年にもうWindowsの特集記事があった。私がWindowsを使ったのはWindows3.1からでそれもPageMakerを使いたかったからでPageMakerしか使わなかった。
日本ではMS-DOSどころかDiskBasicのソフトが幅を利かせていた時代にASCIIはもうWindowsの特集の記事を出した。ASCIIは先進的記事が得意だった。そのため、後進的パソコンユーザの私には猫に小判だった。
記事では「三種の神器」として
〇マルチウィンドウのマネジメントを行える
〇マウス等のポインティングディバイスとアイコンによるマンーマシンインターフェイス
〇アプリケーションソフト間のデータ交換を可能とした統合化ソフトウェア
があげられている。

ASCII1984(05)c03WINDOWS3W520.jpg
動作条件があったので引用する。
さて、MS-WINを動作させるための最低条件であるが,次の条件を満たすハードウェアが必要になる。
(1)8088/8086CPU:現在は,MS-DOSが動作する8088/8086でなければならないが,将来は他のCPUでも,またMS-DOS以外のOSでも動作が可能になる予定である.
(2)ビットマップディスプレイ:CRTの画素が,一つ一つ独立で扱える機能.
(3)192Kバイト以上のRAM:ウィンドウ上で,アプリケーションを実行させるための最低容量.
(4)マウス:ポインティングデバイスとしてマウスを使用。
(5)2台のフロッピーディスク:320Kバイト以上の容量をもつディスクを2台以上.
「MS-DOS以外のOSでも動作が可能になる予定である」とあるが、どのOSを想定していたのか?

ASCII1984(05)c04WINDOWS4W520.jpg
もちろんオーバーラップウィンドウではなくタイリングウィンドウ。これは縦にウィンドウを並べているが、こんなもの使い物になるとは思えなかった。分割ウィンドウより、表裏の2種類の画面があり切り替えて使用できる方が使い道がある。確か、そんな機能を持ったMS-DOSで動くEditorがこれ以降に発売されたように記憶している。

ASCII1984(05)c05WINDOWS5W520.jpg
ASCII1984(05)c05図01アイコン解説W443.jpg
36年前のアイコンデザインが...やはりWindowsはMacと比べいまいちだった。

ウィンドウの使い方の説明が続いているが、当時の読者はこのようなパソコンを見たことがない人が殆どであったので必要であった。


ASCII1984(05)c07図02システムアーキテクチュアW520.jpg
この説明がいまいち分からない。以下引用する。
MS-WINDOWSのグラフィック機能
 ここで、MS-WINのグラフィック機能をつかさどっているGDIについて触れておくことにしよう。
 これまでの説明からも分かるとおり,MS-WINでは,マンマシン・インターフェイスに強力なグラフィックスを用いているが,そのために必要な多くの機能を円滑にすすめるのがGDI(Graphic Device Interface)である。
 アーキテクチャ上から見ると、MS-WI「Nは大きく分けてWINDOW MANAGERとGDIから成り立っている(図2).WINDOW MANAGERが,ウィンドウに表示される各アプリケーションにインターフェイスを供給しているのに対して、GDIはグラフィックルーチンの集まりで構成されており、グラフィック出力デバイスにインタ-フェイスを供給している。つまりGDIは,グラフィック出力と必要とするアプリケーションと、CRTやプリンタとの間に立つインターフェイスとして働くわけである.
 GDIを通せば,各デバイスはMS-WINのアプリケーションから統一的な指令を受け取ることが可能になる.一方,各アプリケーションはグラフィック出力デバイスの違いを無視して稼働できる、アプリケーションによっては出力に必要なデバイスの特性を知ることができるようになっているが、GDIによる場合には,特性に関する情報を使用せずに良質な映像が得られ,デバイスに依存しない(Device-Independent)表示が行われる(デバイスの特性について情報を得るためのルーチンを用いて,さらに精度をあげることももちろん可能である).
 つまり,GDIは各アプリケーションからの出力に統一的なインターフェイスを提供することにより,異なったグラフィック出力デバイス間の違いを調整してくれるのである.
いまいち分からない図2の後には、注目すべきゼロックス・パロ・アルト研究所についての記事があった。以下スクラップ(引用)しておく。色々参考になる記事だった。
MS-WINDOWSとその背景
ゼロックス・パロ・アルト研究所
 マルチウィンドウという機能を考えるとき,忘れてならないのが、ゼロックス社のパロ・アルト研究所(PARC)の存在である。1973年にこの研究所で開発された『ALTO」と呼ばれるコンピュータは,当時,スモールトーク開発グループのリーダーであったアラン・ケイ博士が中心となって創り出したもので,パーソナルコンピュータという概念を生み出し、ウィンドウを通じて複数のタスクを同時に処理,表示するという、いわゆるユーザーインターフェイスへのアプローチを初めて提唱したものであった.
 「ALTO』自体は,あくまでも研究所内でのコンピュータであり,一般に市販されたものではなかったが,その基本的な設計理念は、まさに10年先を見越したものであったと言うことができよう、ワードプロセッシング,シミュレーション,プログラム作成(会話形式)等の機能を持ち、しかもビットマップディスプレイで,マルチウィンドウ表示であった.すなわちこれは、現在各社が競って開発している“ウィンドウを持ったインテグレーテッドソフトウェア”そのものであり、今になってやっとアラン・ケイ博士のアイデアが認知され、現実の姿を伴って世に現れてきたのである。
 なぜならば、極めて残念なことに、彼が提唱したこの先進的なアイデアは、10年近くも研究所で眠らされていたのである.ゼロックス社では、自社の持つ技術の先進性に対する認識が十分でなく、その上商業ベースに乗せるためには,あまりにもコストがかかりすぎ,当時のハードウェアも能力不足であったためである。
 やっとのことで、この優れた概念が陽の目を見たのは1981年,ゼロックス社が「Star』という,スモールトークを搭載したコンピュータを売り出した時であった。もっとも『Star』は、本体自体はそれほどでもなかったが,システムプリントサーバ,ファイルサーバ,イーサネット等を含んだ,システム全一体として高価であったため、結局は殆ど売れなかったようである.
 一方で,このアイデアに目を止め、じっくり暖めてそれを発展させ,マイクロプロセッサによるシステムとして成功したものがあった。1983年にアップル社から発売された『Lisa』である。そして,この『Lisa』の出現により,“ウィンドウ戦争”への幕が切って落とされたと見ることができる。
ウィンドウシステム前史ということで興味深い保存しておくべき記事である。

MS-WINDOWSの可能性という記事を見ると
 さて,これまでMS-WINが持つ基本的な機能を説明してきたわけだが,最後に実際の用途を考えてみよう.
 MS-WINは複数のアプリケーションを同時に走らせることができるわけだが,厳密に言えばこれには2種類あることに注意する必要があるだろう.
 まず第1は,複数のアプリケーションが相互に関係なく、全く独立して動作するケースである.
 第2は各アプリケーションが相互にデータを交換して、影響を与えながら動作する場合である.
 前者の相互に不干渉に動作するというのは,一見あまり用途がないように見えるが,これだけでもかなり有効な機能ではないのだろうか.例えば,最もプリミティブな使いかたとして,テキストの編集の状態を考えてみよう.文章にしても,プログラムリストにしても,しばしばテキスト内の相当離れた個所を,相互に又は同時に参照したいというケースがある.しかし,現在の普通のパーソナルコンピュータでは,25行を越えると,同時に相互参照するということが不可能ではないにしても,極めて面倒なことになる.MS-WINを使用すれば,こういったことが,実に簡単に実現できるわけである.
 この延長線上の使い方として,データベースやグラフプログラムを走らせて,参照しつつワープロを使って文章を作成する,という使い方もあるだろう.こういう使い方は,MS-DOS上で動く,ソフトウェアであるならば,一切手を加えずに利用できる.
 しかし,同じような使い方でも、グラフ出力を切り取って、ワープロで作成した文書にはめ込んだり,マルチプラン等の表計算プログラムで計算した結果を,グラフ作成プログラムで利用する,といった使い方になると専用プログラムが必要になる.
 いずれにせよ,相互参照ということは,様々な応用が考えられる.プログラミングでの応用としては,1つのウィンドウにプログラムを実行させたままで,別のウィンドウでリストを表示させ,デバッグするということもできるだろう。さらに将来ホビー分野にまで利用が広がった時には,複数のシミュレーションゲームを同時に走らせるといった剛の者も現れるかもしれない.そこまで行かなくても,マルチウィンドウを使った専用ゲーム等が開発されるのではないだろうか.「どのように利用するかというのは結局ソフトウェアハウスの開発者や,ユーザーそれぞれの想像力にかかっている,と言えるのではないだろうか.多くの有効な使い方が生まれるのを期待したい.
テキストの編集の件は「WindowsシステムでなくともEditorの機能として実装できるだろう。」という突っ込みはさておき、なんだか、もやっとした感じの内容である。まだ使ってもいないのだからしょうがないところだ。使い始めてからやっと使い道が生まれてくるものだ。これは36年後の後出しジャンケンである。

以下写真をスクラップする。インタビュー記事にはそうそうたるメンバーが登場している。
ASCII1984(05)c13写真JOHN_BUTLER_w520.jpg
ASCII1984(05)c13写真LEO_NIKORA_w520.jpg
ASCII1984(05)c14写真RON_HOSOGI_w520.jpg
ASCII1984(05)c14写真機械Dolphin_w520.jpg

Condurrent CP/M Rllease 3.1 も紹介されている。
ASCII1984(05)c15WINDOWS(CCPM)_W520.jpg

当然Macの解説もある。
ASCII1984(05)c21WINDOWS(Mac)_W520.jpg

全体的にまだ本格運用されていないウィンドウシステムであるから、36年後にこうして解説を読んでもぼやけた印象となっている。

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日立S1 IBM PCjr ソニーHB-75他(月刊ASCII 1984年5月号3) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

ASCII EXPRESSでパソコン関係の記事。

up15ASCII1984(05)b12日立MB-S1W520.jpg
up16ASCII1984(05)b12日立MB-S1本体W370.jpg
日立の8ビット機MB-S1はいい機械だった。遅れてきた8ビット機だから性能がいいのは当然だけど販売は成功しなかった。S1で分かったことは8086/8088を採用した16ビッド機はCPUの性能が低いので周辺のカスタムLSIとかを開発して作らなければならなかったということ。PC-9801のテキストVRAMを作ったということがその一例。それならば、8ビッド機でも実現可能だということを示したのがS1ではなかったのかと思う。
でも、36年前は16ビットという言葉が目くらましになってパソコンを購入していたのが当時の消費者。各社は16ビットという名前が欲しくて低性能の8088とかを採用して、周辺の設計でカバーして使える機械に仕立て上げたというべきものだった。

up10ASCII1984(05)b07IBM_PCjr01合体w520.jpg
up11ASCII1984(05)b07IBM_PCjr02本体w520.jpg
up12ASCII1984(05)b07IBM_PCjr03背面w520.jpg
up13ASCII1984(05)b07IBM_PCjr04メインボード本体w480.jpg
up14ASCII1984(05)b07IBM_PCjr05キーボードw486.jpg
IBM PCjr 一体どの層に需要があったのか分からない。

ASCII1984(05)b08HIT_BIT_W520.jpg
ASCII1984(05)b08HIT_BIT_システム一式W406.jpg
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ASCII1984(05)b08HIT_BIT_プリンタW520.jpg
SONYのMSXパソコン。記事によると「MSXマシンのシェアでは、広告に『松田聖子』を起用したのが当たったのか、大健闘のソニー」だとのこと。タレントに誰を起用するのかが大事だと憂いこと。それに比べ東芝のPASOPIAはダメダメだ。

up01ASCII1984(05)b01bApple新製品?W520.jpg
Appleの新製品なんだっけ思い出せない。

up09ASCII1984(05)b04IBMポータブルコンピュータW520.jpg
IBMのポータブルコンピュータ。13.6kgでポータブルとのこと。それなら、収納してハンドルをつけるとほとんどのパソコンはポータブルとなるのではないか。

up02ASCII1984(05)b11_35インチFDD_W520.jpg
up03ASCII1984(05)b11_35インチFDD写真W370.jpg
この先マイクロフロッピーは3.5インチが事実上の標準となった。アルプス電気、ティアックとは懐かしい会社名だ。
ちなみに、敗者の広告を下に示す。
up04ASCII1984(05)a40Nationalの3インチW520.jpg

up05ASCII1984(05)b090ASCシリアルマウス合体w520.jpg
マウスの紹介記事で2ページ埋めることができる。登場当時はこれのくらいのボリュームが必要だった。
up06ASCII1984(05)b091ASCシリアルマウス写真w520.jpg

プログラムリストも必要だった。
up07ASCII1984(05)b092ASCFM-7用リストw379.jpg
up08ASCII1984(05)b103ASCリストW687.jpg
マウスを利用するのは簡単ではなかったのだ。
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