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DOSその4(月刊ASCII1984年8月号7)特集 [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

特集の最後の編集部の記事に36年後の後出しジャンケンで突っ込みを入れる。
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 いままでにDOSの過去、現在を見てきました.DOSは,今後どの様に変化するのでしょうか。パーソナルコンピュータは,どんどん進歩してゆきます。しかし,一般にソフトウェアの進歩は,ハードウェアに比べて遅いと言われています.ここでは、DOSの今後の変化、発展について考えてみることにしましょう.
 ハードウェアの進歩
 いままでに何回も述べられたように,半導体技術の進歩によって年々メモリチップの集積度が上がり,パーソナルコンピュータでもメガbyte単位のメモリを持つものが現れています.しかし,単に巨大なメモリを持つだけでは何もできません.それは,それを使いこなすソフトウェアと管理するソフトウェアがあって初めて有効に利用できます.さらに誰でもが使える様にするには、ミスを防ぐためのソフトウェア上の配慮や,視覚に訴えるグラフィックスをサポートする必要が出てきます.これらを完璧に行うには,かなりのメモリを必要とし,その場合に,メモリの管理を総合的に行い,ユーザーとのインターフェイスをとるソフトウェアが必要になります.
 「パーソナルコンピュータでもメガbyte単位のメモリを持つものが現れています」どの機種か知らないけどそんな特殊なものを出して論を進めるのはダメだろう。PC-9801Fの標準メモリは128Kbyteだったんだ。拡張しても640Kbyteにしかならなかったんだ。

 これらのことに対応するためにも,効率良く計算機資源の管理を行えるDOSが要求されています。
 いままでソフトウェアはハードウェアに合わせて作られていましたが,最近では,ある仕様のソフトウェアを効率良く実行するために,ソフトウェアに合わせてハードウェアを設計するということが行われています.その例としては、アップルのMacintoshが挙げられます.このMacintoshは,基本的な仕様として前章で紹介した様な形態が目標とされ,そのためにハードウェアが設計されたものと言ってもいいでしょう.
 これは正解だった。アップルはパソコン専業メーカーだったからというか、ジョブスの「パソコンはこうあるべきだ。」の思想を具現化できたからMacが誕生した。日本にはパソコン専業メーカーはなく、各企業の事業の一つとしてパソコンを作ってきたので、ある程度売れる機械を作るのが第一。ソフトは外部に作らせればいいという考えだったから仕方がない。

 ソフトウェア
 コンピュータの最大の特徴として,プログラムを入れ換えるだけで様々な用途に使えるということがあります.その様々な使いかたの分だけ,ソフトウェアが存在すると言って良いでしょう。
 ソフトウェアの重要性については,改めて言うことではありませんが,ここで問題なことは,それが人間が作らなくてはならないものだということです.そして昔も今も,多少環境が改善されたとはいえ,プログラマはプログラム開発に追われています.ソフトウェアの開発に関しては、工学的手法を使って生産性を向上できないため,「ソフトウェアの進歩は,ハードウェアよりも遅い」と言われるのです。
 ずいぶんと昔から「ソフトウェア危機」と呼ばれるこの様な状況があり,これだけコンピュータが進歩した現在でも,この問題については解答が出されていません.人間がコンピュータを利用する限り,常にソフトウェア生産上の問題はついて回ります.
 さらに現在では,パーソナルコンピュータは家電製品化しつつあります。大量に,しかも多くの種類のマシンが広まった時,ソフトウェアに対する需要はメインフレームの場合の比ではないでしょう。
 こうした問題を解決するための方法の1つとして,ソフトウェアを共有化することが挙げられます.なんらかの方法でソフトウェアからマシンに依存する部分を分離し,どのマシンでも走らせられる様にするのです.
 ここで異機種間で互換性のあるDOSを利用すれば,ソフトウェアを共有することが可能です。現在の所,物理的なフォーマットの違い等の原因で同一DOSでありながら,ファイルが共有できない,といった場合もありますが,時代の趨勢から言ってもその様なDOSは淘汰されていくでしょう.
 これはWindows95が登場するまで実現しなかった。11年前から言い続けていてやっとだった。

 使いやすさとは
 最新のDOSを紹介した部分で,「使いやすさ」について触れました.一言でいうと皆同じ「使いやすさ」なのですが,この「使いやすさ」は、誰が,どの様に使うかによって様々に変化します.
 例えば,コンピュータで行う仕事としてソフトウェア開発をする場合と事務計算をする場合では,その要求される能力が違い,コンピュータのソフトウェア,ハードウェアが違ってきます.その個々の使いやすさを考えた時,違いが出るのは当然です.
 そして,実際にはこのような場面を取り巻く「状況」という部分もあります.ソフトウェア開発を行えるユーザーは,少なくともコンピュータに対するある程度の知識を持っていますが,事務計算を行うユーザーは,そうであるとは限りません.
 このように様々なレベルのユーザーが利用するパーソナルコンピュータのOSは,何が良いとは,一概に決められません.しかし,逆に具体的に何に使うのかがはっきりした時点で,それが決定すると言えるでしょう.
コンピュータが登場し,多くの人々に利用される様になって,それらを効率良く使いやすくしようと,OSが登場しましたパーソナルコンピュータが登場すると,そのユーザーはコンピュータに対して特に知識を持っていない人々にまで拡がりましたそのためにOSは,それらの人々とコンピュータのインターフェイスをとるために変化しつつあると言ってもいいでしょう.
 これはコマンドを投入するDOSでは無理だった。前にも書いたけど操作を教えていたとき背中から見ている人が「魔法の呪文みたいだ。」というようではダメだ。Macのようにマニュアルを見なくても使えるようなユーザインターフェースが必要だった。

 DOSの向こうに見えるもの
 いままでに述べた様な状況の中でDOSの今後の発展を考えた時,誰もがそこに見るのはDOSそのものではなく、ハードウェア,ソフトウェアの一体化した,その人にとって「使いやすいパーソナルコンピュータ」ではないでしょうか。つまり,親切なユーザーインターフェイス,そして巨大なメモリや外部記憶装置,多くの周辺装置を統轄し,アプリケーション間のインターフェイスを行いソフトウェアを統合化する.それは,カーネルの部分は共通であるが,ユーザーの利用形態,状況に合ったシェルでユーザーに対心できる.さらに異機種間のファイル,プログラムの互換性は保証されている.
こうした姿こそ究極のDOS,そしてパーソナルコンピュータのあるべき姿ではないでしょうか。
 それはMacだ。使いやすいパソコンが広まらず、売られているパソコンは、添付のマニュアルは役に立たず、知人に操作法を教えてもらえねば使えない、使用法の本を買わねば使えないそんなコンピュータばかりだったのが36年前の姿だった。
 36年後、老人以外スマホを使うための本を買っている人はいないのではないだろうか。老人以外は適当に触って使えるようになっている。これと比べればDOSの時代はマニアには面白い時代だったが、他のユーザには暗黒時代だった。





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