その他の記事(月刊ASCII 1985年10月号9) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]
この号の最後は、宇宙関係の記事、連載のコンピュータサイエンス、付録のポスター、シール、編集部のコメントをスクラップする。
1986年はハレー彗星の年だったが、観測に不向きでがっかりだった。私は、見ることができなかった。
「宇宙からの帰還」はNASAの記録映画のような映画だった。月面着陸から早くも16年経ってしまっていた。高精度の映像を見ると感動したのだが、映像が綺麗になるにつれてドキドキ感は薄くなっていった。宇宙開発初期の粗い白黒動画はハラハラしながら観ていた。
リレーエッセイは茨城大学の高岡忠雄さん。茨城大学の情報工学科の紹介記事。計算機科学を教えるための大学講座再編がこのころあったのか。開講科目をみると
理論講座、ソフト講座、ハード講座、システム講座があった。大学でこういったものを学べたなんてうらやましい限り。いや、趣味で勉強していた方が幸せだったか。
記事を読むと当時が懐かしい。私は、展示されていたPET、Apple、TRSといったマシンを触ることができた。当時はマニアは少数だったので、結構長時間売り場で触ることができた。面識のない客同士で売り場で会話し、情報交換したこともあった。
終活の一環としてアスキーをスクラップしているが、記念にこれらは仕舞っておく。私が死んだとき燃やしてもらおう。
1986年はハレー彗星の年だったが、観測に不向きでがっかりだった。私は、見ることができなかった。
「宇宙からの帰還」はNASAの記録映画のような映画だった。月面着陸から早くも16年経ってしまっていた。高精度の映像を見ると感動したのだが、映像が綺麗になるにつれてドキドキ感は薄くなっていった。宇宙開発初期の粗い白黒動画はハラハラしながら観ていた。
リレーエッセイは茨城大学の高岡忠雄さん。茨城大学の情報工学科の紹介記事。計算機科学を教えるための大学講座再編がこのころあったのか。開講科目をみると
理論講座、ソフト講座、ハード講座、システム講座があった。大学でこういったものを学べたなんてうらやましい限り。いや、趣味で勉強していた方が幸せだったか。
記事を読むと当時が懐かしい。私は、展示されていたPET、Apple、TRSといったマシンを触ることができた。当時はマニアは少数だったので、結構長時間売り場で触ることができた。面識のない客同士で売り場で会話し、情報交換したこともあった。
終活の一環としてアスキーをスクラップしているが、記念にこれらは仕舞っておく。私が死んだとき燃やしてもらおう。
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