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インタビュー STEVE WOZNIAK(月刊ASCII 1985年10月号6) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

貴重なスティーブ・ウォズニアックのインタビューがあった。スクラップする。
Apple を辞めたもう一人のスティーブは今。
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この号のASCIIは目次からウォズニアックだった。
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私が思うのはウォズニアックは本当に天才だった。私のような一般人が彼のような天才と知り合うことはまず無理だと思っていたし、もちろん同等の天才を周辺で見ることはできなかった。しかし、スティーブはというと、「いるよなこんな奴」というイメージ。スティーブはウォズニアックと出会えなければ成功しなかった種類の人間で、ウォズニアックはスティーブと出会えなくてもウォズニアックと組んで成功する人間は複数いただろう。スティーブの代わりに誰かが、成功者となったろう。ウォズニアックは余人に代えがたい人物だった。スティーブとは出会いサインをもらうのは嫌だけど、ウォズニアックのサインは欲しかった。

 ウォズことスティーブ・ウォズニアックといえば,知ってのとおり1976年にもう一人のスティーブ,つまりスティーブ・ジョブスと二人でApple Computerをガレージの中から作り出した人物だ。彼らの成功は,サクセスストーリーの見本市のようなシリコンバレーの中でも一際華やかなものとして知られ,文字通り「アメリカン・ドリーム」の典型とされている。
 ところが,今年に入ってから米国のパーソナルコンピュータ業界は売れ行きが急速に停滞し,IBMのPCjrが生産中止されるなど,業界全体の不況感はかなり深刻なものがある.なかでもAppleの落ち込みは相当なものだ。6月初め,同社は「経営改革」を発表し,創業者で会長のスティーブ・ジョブスを事実上ビジネスの第一線から退かせ,かつてジョブス自らペプシコから招いたジョン・スカリーが社長としてすべての采配をふるう体制がスタートした。もう一人の創業者ウォズは,これより先の今年2月,「まったく新しい分野の家庭用商品を考えついた」として突然Appleを去り、新事業を始めたと伝えられていた.
 ところがそれから数カ月,ウォズの近況については,ほとんど報道されないままだった。かつては誰にでも気さくにインタビューに応じていたウォズが,急に「取材を拒否するようになったとも噂されていた.
 しかし,偶然知り合った彼の親友から教えられた自宅の電話をダイヤルすると,本人が出てきて、翌日に新しいオフィスで会うことであっさりアポイントメントが取れた.これはチャンスだ。新ビジネスについても,Appleについても聞きたいことは山ほどある.
 シリコンバレーの南端にロスガトスという市がある.ここはどちらかといえば高級住宅地で,町の中心は小粋なショッピングストリートになっている.そのロスガトス市の中心から車で5分ほど,まだ入居者が全部入っていない真新しいオフィスビルの一角にウォズを訪ねることができた.
 その日,シリコンバレーはこの夏一番の暑さだった.今年のカリフォルニアは正月から雨らしい雨がほとんどなく,大地は乾ききっていた.山の草木はちょっとしたことから簡単に火を発しやすい状態になっていた。悪いことに前日出火した山火事がロスガトスの裏手で燃え広がり,私がウォズのオフィスに着いたとき,社員の女性が一人,自分の家が立ち入り禁止区域に指定され,どうすることもできないと騒いでいた.シリコンバレーの歴史を書いた『ファイア・イン・ザ・バレー』という本がある。彼女たちには失礼だったが,私にはウォズが始めようとしているビジネスと,この山火事とが奇妙に重なり合うイメージを捨てられなかった...


今作っているのは 「汎用プログラマブル・リモコン装置」 ――早速ですが,今度新しく始められたビジネスの方向性とか,どんな夢をお持ちかというところから始めたいのですが、
Wozniak オーケー.今はとてもシンプルで,小さな製品を一つ作ろうとしているところです。自分の家庭のことを考えて思いついた商品ですが,完成すれば,一般の消費者向けに大量に販売されるようになるでしょう。
――もうすこし詳しく教えてほしいのですが、
Wozniak 『汎用プログラマブル・リモートコントロール装置』,つまりリモコン機能自体を売り物にした商品としか話せません。
――なるほど、噂ではビデオ関連だと聞いていますが、
Wozniak この商品が家庭用として使われるという点に限って言えばそうです.ビデオ以外の分野にも使えますが,とりあえずはビデオ中心となるでしょう.小さく始めてしっかり成功させるのが重要だと考えているからです.
 でも,いずれこのマーケットは,パーソナルコンピュータと同じくらい巨大なものになると思います.まったくのゼロからスタートして,何十億ドルという規模になるでしょう。特に「フレーム・バッファ・メモリ」という技術で支えられたデジタルTVなどが普及するにつれて、一大マーケットが形成されるでしょうし、その中でこの新しい会社も成長していくでしょう.今のところは,この分野への進出をねらっている人が相当大勢いるので,どちらかといえば慎重に構えているところです。
――何がきっかけで思いつかれたのですか。
Wozniak 家にあるたくさんの電気製品を毎日使っているうちに,必要性を感じたのです。必要性がハッキリ感じられれば,形になるのはやさしいわけです.
 私の家庭での生活はすべてビデオ関連の製品で取り囲まれています.私にしてみれば,Apple Computerというのも,家庭用テレビを中心としたいくつものプロジェクトのうちの,たった一つに過ぎなかったと言えるくらいです.
 ビデオに関連するものはいろいろやってきました。初期のビデオテープレコーダから,衛星放送のレシーバーまで.テレビ,ビデオ関係のプロジェクトはたくさん手がけてきました。ところがAppleがあまりにもうまくいってしまったために,10年ほどブランクができてしまったというのが本当のところです。だから今は,やっと自分の身近な領域に戻れた感じです。
――最初の出発点に戻ったような?
Wozniak そうですね.
――ところで,ビデオもNTSC方式だと技術上いろいろ制約があって不便なんじゃないですか.
Wozniak まず,今度の会社ではビデオ製品そのものを作ろうとしているわけではないので,その点は誤解しないで下さい.もちろんNTSC方式には制約がいろいろあります.AppleでPAL方式のデジタル版を作ったこともありますよ.かなり難しかったけど.SECAN方式は無理でしたね。アナログのFM装置がないとダメなんです.そういうわけで,各方式の長所も問題点も分かっています.特に本格的にグラフィックスをやろうとするとうまくいかないですね.
 高品位テレビも標準化という点で問題がありますね.ソニーとCBSの提携も解消されたし,ヨーロッパはヨーロッパでいろいろな方式がある.これはとてもまずい状況ですね.
――ところで新製品はいつ頃発表の予定ですか早く実物が見たいものですね.
Wozniak 今年の10月か遅くとも12月には発表できるでしょう.
――価格はどの位ですか.
Wozniak 100ドル(2万4000円)前後を予定しています.80ドルから150ドルの間です.まだマーケットが存在していないところへ出すわけで,買う方も、いったいいくらが適正な価格なのか分からないでしょう.質を維持しながら,どれだけコンスタントに量を作っていけるかがポイントで,それによって価格も決まると思っています。

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ウォズニアックが作っていたという製品全く記憶にない。私の記憶ではApple退社後の姿は仙人のようになった姿で実業家のイメージは全くない。今後ASCIIのスクラップを続けると記憶していない歴史が登場するかもしれないので楽しみだ。
Smalltalk的な高級言語を開発
――話は変わりますが,あなたが突然Appleを辞められたというのは,ちょっと驚きだったのですが、
Wozniak 確かにAppleを離れました.でも,コンピュータからまったく縁がなくなったわけではありません.今度出す製品はプログラム機能という点でみれば,これまでのマシンの中でも最高の製品なんですよ.プログラムといっても「LET A=B」というのではなく,「チャンネル34を選んで,ビデオディスクをオンにする」という具合のものです。きわめて洗練されたレベルのものなので,ごく簡単に使えます.「変数」はなく,キーボード上のすべてのキーと仮想キーとで何をするのか決められる仕組みです.これは「smalltalk」と似たもので,ちょっと変わったスタイルです。変数を使わずに命令するだけで,それぞれのキーの機能を変数同様に再定義することができます.学校で習うようなプログラムの考え方とまったく違った働きをするんです.
 マイクロプロセッサは2個使います.1つは,AppleIIに使われている6502を強化した三菱の5472です。横にジャックをつけて入出力を可能にしています.モニタ用のROMもAppleIIの改良版です.CMOSのRAMを8Kbytes持っているので,コンピュータマニアなら,自分で機械語あるいはアセンブラを使ったプログラムを書いて走らせることができます.時刻表示用の液晶ディスプレイでゲームプログラムを走らせることも可能です。
――smalltalkは,オリジナルのものを使うのですか.それとも改良を加えるのですか.
Wozniak smalltalk的な言語というだけであって,あくまで新しく開発したものだとしか言えません.高級言語の開発は難しいですね.まだ名前もつけていません。
 要するにヒューレット・パッカード社のプログラム電卓のようなものだと思ってもらえばいいのです.ただ,プログラム機能を各キーに割り当ててあるので,1つのキーを押せば、他のキーの働きも再プログラムされるという非常にフレキシブルな機能を持っています。前後の関係に応じてキーの働きや意味を自分で読み取るのです.
――サウンドについては、
Wozniak 内蔵はしていません.赤外線によるコントロールだけです.音声についてはエラーを知らせる小さなスピーカーしか用意していません.このマシンはあくまでリモート・コントロール機能を集約して,それを自分の好きなようにプログラムして使うためのものですから.
 第3バージョンでは音声入力を可能にする予定です。あたかも言葉の意味を解析したかのように動きます。同じ「レコードせよ」という命令でも,例えばテレビとテープレコーダでは意味も機能も変わります.それを直前の命令との関係でプログラムが意味を判断するようになっています.
――音声認識用にはテキサス・インスツルメンツ社製のチップを予定していますか.
Wozniak いや,NECのセットを考えています.うちのスタッフがNECのIC用にアナログのフロントエンドをうまく設計したので,まずNECを第一に考えています.

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記憶にない事柄が続く。本当にどんな製品だったのか気になる。

Appleでやったようなギャンブルは二度としない
――ところで今度の会社「CL9」というのは,どこからきた名前ですか.「クリエイティブ・ライフ」とか...
Wozniak いや,「クラウド・ナイン(Cloud Nine)」としたかったんです.すぐ近くにあるレストランがこの名前でそれが気に入っていたのですが,そのまま使うわけにはいかなくて...クラウド,つまり「雲」というのが「夢」を象徴しているのに対して,数字の「9」が現実.つまり何かを作り出すためには,普通の人には想像もつかないほど強く夢を描かなきゃならないでしょう.だけど最終的にそれを地に足のついたのもとして実現していくには,現実の中でやらなきゃならない.ただ適当に夢ばかり見ていればいいってものじゃない、夢と現実の2つの組み合わせが大事だという思いですね.
――CL9の社員は現在何人ですか.
Wozniak 今は8人です.
――たった8人?
Wozniak そうです.あまり大きな会社にはしたくないので,この人数でスタートしました。1人1人が過負荷にならないように気をつけてはいますが、大会社にしてある日突然売れなくなったら,自分の会社の社員にしわよせがきて、辛い目にあわせることになります.それはいやです.今度の会社は、永久に平和に生きていきたいんです.
――それはあなたがAppleから学んだ教訓でもあるわけですか.
Wozniak そうです.最初に成功して大金が入ってくると、たちまち規模を膨張させて、数限りないプロジェクトに手をつけようと考えるものです.しかし,製品の質を維持しようとしたら、一度にできるプロジェクトの数は、ほんの少しに限定しないとダメです.今度の会社はできるだけ小規模でやっていきたいですね.
 もちろん商品はいくつか開発していきます.でも,一気に成長できる見通しが立ったとしても,ギャンブルは避け、確実に利益を確保しながら長期にわたって生存できるように,ゆっくりゆっくり成長していくつもりです.Appleでしたようなギャンブルは二度としません.
 ――ということはAppleIIのように商品の基本設計を十分優れたものにして,例えば10年はもつようなものを出すとか.
Wozniak いや,必ずしもそうじゃないですね.商品の種類はいろいろ持ちますよ.ただ,企業の在り方として,ストレスを低くして,平和で安定した状態を保っていきたいということです.

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ウォズニアックらしいコメントだ。ウォズニアックは金儲けをしたいのではなく、自分のアイデアを実現したい人物だということが分かるコメントだ。ジョブスは金儲けをしたくて金儲けの道具がまだ大企業が目を付けていないパソコンで金儲けをしただけの人。ジョブスのような人物は沢山いてほとんどは失敗し、死屍累々のところで成功した人物だと思う。成功者の話は世に出るが、多数の失敗者の話は世に出ない。

Appleは太り過ぎのネコみたいになってしまった
――これまでのあなたの成功を見て,ベンチャー・キャピタルもたくさん集まってきたと思いますが,どうですか.
Wozniak 確かに彼らは大勢来ています.興味津々でね.だから事業計画を書かなくても資金は十分確保できました。彼らには「いずれ事業計画は書きますが,その前に,とにかく一度会いにきてほしい」と説明するんですよね。そして,直接来てもらって何時間か話をして,我々のことを知ってもらいます。商品や技術についても,ビジネスに対する考え方についても、それだけで何社かは飛びついてきました.有数のベンチャーキャピタルも含まれていますし,外国の投資家もいます.もちろん第二期の資金計画の時にちゃんと事業計画を書くつもりです.
――なるほど,お話を聞いているとミッチ・ケーパーがロータス社を始めた時のようですね.まず資金を大量に集めて,それからスタート.
Wozniak あの頃ベンチャーキャピタルは,ハイテク企業と聞けば相手かまわず投資したんですよ.それが今はどうですか投資先から利益が上がってこなくても,ただ手をこまねいているだけでしょう。これから先の見通しも暗いし.
――そうですね.ところで今度の会社では,個々人の果たす役割が非常に重要になりますね.組織の力ではなく、
Wozniak 規模が小さいうちはいつでもそうですよ.小さければ,社員の誰もが今何が起きているかよく分かる.小さいからこそそれが可能で,いい仕事をすることも比較的やりやすい.みんなが今どんな状態にいるのか分かっているというのはものすごく大事なことですよ.
――それと親切でオープンなことですね.たとえば,あなたの会社の受付嬢,とても親切で感じがよかった.残念ながらAppleにはそれがないんですね.たとえば電話を一本かけただけですぐわかる.冷たいんですね。
Wozniak それが,会社を大きくしたくないもう一つの理由でもあるんです.Appleは、一度にあまりにも多くのことを詰め込み過ぎて、まるで太り過ぎのネコみたいになってしまった.
太りすぎのネコとは、動作が鈍いということだろうか。寝そべったまま何もしないということだろうか。ともかくウォズニアックは成長したAppleが好きではなかったことが良く分かる。大企業になると自分の会社というイメージが持てなくなるということだと思う。

IIeは例外的なアンダーグランド製品だった
――それはよく分かりますね.ところで,Appleについてのお考えなどをぜひうかがいたいのですが、
Wozniak Appleは1976年にガレージの中でスタートしました。77年に本当の会社の形ができて,78年にディスクドライブが加わって急成長を始める.大量の注文を抱えて生産が追いつかず,「これは将来の成功は間違いない」と考えた79年には株の公開を検討し,新製品の開発が進められました.AppleIIIですね.
 あの頃から、会社としては完全に変質していった.技術者を大量に採用し始める.3人ではなく,一挙に100人.そうやって大量採用された連中全員が,スティーブ・ジョブスとマイク・マークラによって考えられたビジネスマン用のコンピュータAppleIIIのプロジェクトに動員される.AppleIIのためのプロジェクトはどこにもなくなってしまった。80年から83年のなかばまで,AppleIIのプロジェクトはハードウェアもソフトウェアも含めて、社内では一切存在が許されなかった.改良計画ですらそうです.AppleIIeは例外的なアンダーグラウンドのプロジェクトだったんです。少数の有志による個人的なプロジェクトで,経営者と対立して進めなければならなかった.
 この3年間,AppleIIIだけが唯一広告された商品でした.全売り上げのわずか3%の商品ですよ一番最初にこの商品のことを着想した連中は,自分たちの考えの正しさを証明したくて,自分でお金を出して買っていたわけですよ.AppleIIが稼いだ何百万ドルという利益をみんな注ぎ込んでいった.AppleIIにはハードディスクをつけることも許されなかったのに.
そうだったのか。ウォズニアックの好きなApple II は拡張を許されなく、消えるべきな製品だったとは。NEC の PC-8001はPC-9801が市場を制覇したときまでバージョンアップを続けていったのに。

1983年のなかばまでAppleIIは社内に1台もなかった
 これは経営者がアンフェアで間違っていたということです.Appleのシステム・ソフトウェア部門は,自分たちがAppleIIIを開発したものだから,外部のAppleII用ハードディスクメーカーを敵視した.AppleIIでうまくできたということ自体が面白くないんですね.AppleIIにメモリを増設するのでさえ嫌がる.彼らにとってAppleIIは家庭用,ホビー用の小さな普及型マシンでなければいけなかったんです.AppleIIIこそがビジネス用の優れたマシンだと考えられていました。
 マーケティング担当部門は、社内にやたらに縄張りをはって,外部のユーザーが求めていたのに,AppleIIの強化・発展につながるプロジェクトを一切認めなかった.AppleIIによってIBM PCと競争するという考え方は社内で認められなかった。
 もう一つ.1983年のなかばまで,社内にAppleIIは1台も存在しなかったんです.誰もAppleIIを使っていなかった.我々自身がAppleIIのインフラストラクチャーを構成していなかったんですよ.社内ではAppleII用のソフトウェアをコピーすることさえできなかった.私自身はその頃は両方の立場の間を行ったり来たりして、おとなしくしていました.会社を動かす立場にはいなかったし.
 しかし,全ビジネスのたった3%しかない一つの商品にすべてを集中させるというのは恐ろしいことですよ.スティーブ・ジョブスとマイク・マークラの個人的な利己主義に根ざしたお粗末な経営で,まったく間違っていました.
言うね(いや過去形で言ってたねとすべきか)。ジョブスとマークラをコテンパンにこき下ろしていた。実際歴史を見るとAppleIIIは失敗しているから妥当な言だったと思う。

Macintoshも戦略が間違っていた
 これと同じことが,最近のMacintoshのときにも起きました.Macintosh自体はすばらしいマシンです.売れ行きが思椎わしくなくなったのにはいろいろな理由がありますが,いずれにしても企業の資源を人的にも資金的にも一切合切Macintoshに注ぎ込むというのは,これは行き過ぎです.人間は生きていかなきゃいけないんです.自分のために働いてくれる人間,彼らの生活こそ何にも増して大切なものでしょう。それまで犠牲にしてしまった。
 コンピュータで何か一つ大きな成功を収めると,すぐ自分たちの頭が良くて,すべてが正しかったからだと考えたがる傾向があります。同じ頭で次の新製品を考え,それでつまずくと,会社の全資源を注ぎ込んで何とかうまく行かせようと必死になるわけです。場合によっては何年間もあきらめない.それでやっと気がついて「失敗した」と認める.「人間誰でも間違える...今度は違った商品を出してヒットさせよう」とね.こういうやり方の会社は,偶然のヒットだけで持ってるんですよ.本当の成功の鍵は,どんな商品が必要とされているのか,じっくり腰をすえて正確に計算するところにあるんです.世の中には自分たちと同じくらいできる人間が大勢いるわけで,成功するかどうかは多くの偶然,運によっています。
 だからこそ,きちんと絞り込むことが大切です。世の中で一番大事なのは,その商品を実際に使っているユーザーのすぐそばにいるということでしょう.そこで開発する.設計する.それが最高のものを作ることになりますね. 経験豊かなユーザーなら,何が優れているか,何が駄目か,すぐ分かるものです.ところが経営者は、自社製品のユーザーになろうとしない.

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Macintoshのハードは批判していないが、経営陣は批判していた。これも妥当だということはその後のMacの成功で歴史が証明している。

ジョプスと一緒に仕事をしたいと思う人間は一人もいなかった
 Appleの場合,経営者たちはみんなそうで,せいぜい使ってもAppleIIIだけで、だれもAppleIIには触ろうとしなかった。だからどうやって育成していくかなんてことはまったく考えもしない.1982年から83年にかけて,AppleIIについては社内では何も考えられていなかったのです.外の人たちはまったく違っていた.AppleIIでどれだけ素晴らしいこ-とができるかちゃんと分かっていた.ところが経営者は,なんとかしてAppleIIIを成功させようとばかり考えていて,そのことは分かりようがない.実際,これは恐ろしいことでしたね.私は現実のマーケットに接していて、経験ある人の直観を信じますね.かなり当たります.知っているんですよね。いいアイデアも持っている。
――最近のApple社の「組織改革」についてのコメントをお願いします.特にスティーブ・ジョブス氏についても.
Wozniak あれは、5年前に起こるべきことでした.ジョブスを棚上げにしたこともね.いいですか,彼と一緒に仕事をすることが好きな人間は一人もいなかったんですよ、彼の仕事のやり方,物事の扱い方も嫌われていた。彼は全製品について指示を出すことができた.企業の力はそこで制約されてしまう.あらゆることに口を出した。どんな小さなことにも干渉しようとした.広告計画についても,製品企画についても、外部の実際の世界とApple?部の世界のリアリティの差異が,すべてジョブス個人のフィルターを通して作られる.彼の頭の中のリアリティが実像を歪めてしまった.
 今度の改革で、商品本位型から機能本位型に変わったわけですが,それでも基本的には大きな違いはないと思います。ただ,ジョン・スカリーは世界で最も優れた経営者の一人ですし,フランスからきたルイ・ガセーもAppleの今までの歴史の中では最高の経営者といえます。彼のことは私自身直接よく知っています.少なくともどんな商品が売れるかということについて,ガセーの判断能力には大変高いものがあります。二人とも組織づくりがうまくできっと成果を上げるでしょう.
――ということはApple社も立ち直る
Wozniak 非常にゆっくりでしょうね.マーケット全体はさらに落ち込むでしょうから.Appleはある程度は持ち直すでしょう。今のパーソナルコンピュータ業界では最強の経営陣ですし,スカリーは何をすべきか分かっている男ですから、今までは,彼が手をつけられなかったこともいろいろあったでしょうが,今度は自分でコントロールできる組織になったのですから
こういった話は、これ以降も何回も目にした。エレベータに乗るやいなや部下をこき下ろしたとか色々。ジョブスのような人、外面が良い性格の悪い人間は結構いる。ちょっと考えると私の身の回りにも何人もいた。どうしてそういう外面の良い性格の悪い人間に騙されるのか。
 しかしMacintoshがこんなに苦戦していたとは思わなかった。35年前はPC-9801の動向ばかり気にしていたのでMacのことは全く覚えていない。Macは英語が得意な金持ちのマシンだというのが当時の認識だった。

IBMは互換性を重視してきたがIIもIIIもそうではなかった
――はたしてAppleはIBMと真向から競争すべきなんでしょうか.それともIBMのマーケットからは少し離れたところを狙ったほうがベターなのでしょうか.私自身はIBMに挑戦するよりむしろ,IBMが後から入ってくるような新しいマーケットを創造していくほうが賢明なように思えるのですが、それがそもそものAppleだったわけでしょう?
Wozniak Appleであれ,他のどこであれ,IBMに直接挑んで成功することは可能です.しかし,それには少なくとも5年から10年必要です.その理由は次の通りです.大企業の管理職がコンピュータ製品を買うとき最も重視するのは安全ということです.つまり,これから買おうとしている商品が,5年たっても10年たっても安心して使えるかということです.一番最初に出したIBM PCは今でもまったく問題なく使えます.基本が何も変更されていないからです.
 ところが,Appleは何回も設計変更をしてきました.AppleIIもAppleIIIもです.この二つのマシンにまったく互換性がないのも大きな間違いです.優れた商品を大事にしながら,互換性を維持して機能の強化,拡張をしていくということ怠ってきたのです.Appleがやらなかったことを,IBMは予想通り実行してきました.この差は大きいものです。同じことをAppleがやって信頼と実績を得るためには何年もかかるでしょう.
互換性が大事だということは8086の蔓延り方、PC-9801の成功を見ると明らか。これに対抗するためには何年もかかるというウォズニアックの言はその後のMS-DOSからWindows95への移行でやっとIBM互換機がPC-9081に対抗し勝利した歴史が証明している。

テレコンピューティングは家庭ではまだまだお遊び
――話が少しそれるかもしれませんが,コンピュータをいわゆるコミュニケーションの道具として,ネットワークの中で使うという方向性についてはどうお考えでしょうか。あなた自身も時々コンピュサーブにログインしておしゃべりを楽しむことがあると聞いていますが,いわゆる「テレコンピューティング」についてどう考えていますか.
Wozniak 家庭のユーザーにとっては楽しい遊びですね.ただ,役に立つかどうかという点では疑問ですね.私にはせいぜいホームバンキングがメリットとしてあるくらいで、自宅で銀行の口座の処理ができ,それで一月に何分間かの時間が節約できる.たったそれだけのためにお金をかけるなんて馬鹿らしいかもしれませんが,私には価値がありますね.
 テレコンピューティング全体についてはまだよく分りませんね.「さあ,ネットワークができました.こんなに素晴らしいことができます.実際にやってみて,何ができるか体験しましょう」なんて役に立つように宣伝はしていますが,実はちっともそうじゃない.これは問題ですよ.実用というより遊びですね.
――私の見方は大分違うんですが、ビジネスでもかなり使っていますし,その中でいろいろな人々と出会えることもできます。
Wozniak ビジネスとか研究・調査については別です.でも,ビジネスでも,MCメールを使えば米国のどこへでも署名入りの手紙を2時間で届けられます.25ドルもするので,ごくたまにしか使いませんが、普通の郵便でもパーソナルコンピュータから直接送れますけど,2ドルします。切手を貼って出せば22セントで済むのに2ドルも払いませんよ、馬鹿らしくって、テレコンピューティングが普及するためには,もっともっと無駄がなくならなければ、そうすれば広まるでしょうが,まだそこまでいっていない.
流石のウォズニアックも読み違えるということか。パソコン通信は確かに遊びであったが、あっという間にビジネスに利用されるようになった。パソコンを扱う人間にとってはパソコン通信(テレコンピュータ)は欠かせないものとなり、インターネットはこの時点から10年もしないうちに実用的になった。

私は典型的なシリコンバレー・キッズ
――あなた自身のことについて,少しお聞きしたいのですが.
Wozniak オーケー.私はここシリコンバレーで育ちました。典型的なシリコンバレー・キッドです。隣りの家の草刈りをしては電気の部品をもらったものです。家同士を結ぶインターフォンを付けたり,似たような大勢のエレクトロニック少年と一緒に過ごしてきました.電気で動くおもちゃをたくさん作ったりしてね.小学校6年のときにハムの免許も取りました.
 いわゆる普通の社会生活はあまりしなかったといえますが,成績はいつも優秀でしたね.数学や科学は常にトップでした.エレクトロニクスを趣味にするグループでは,いつでもリーダー格でした.でも自然科学や物理を専攻するのはどうも抵抗があって,それより、ただボタンさえ押せば何かをしてくれるようなもの,そうテレビのようなものを作ろうというのが夢でした。自分にとってエンジニアリングというのは,まさにそういうものでした。
 高校までは周囲にコンピュータなんて全然なくて、まさかそれにかかわるようになるとは思ってもみなかったですね.大きくなったらテレビの設計をすると思ってました.それがカレッジで偶然コンピュータに出会ってしまったわけです.ずいぶん遊びましたよそれが原因でいくつかの大学から追い出されるほど――-使い過ぎで、それで,コンピュータは楽しいものだ,となったわけです.エンジニアとしての能力はちゃんとあったんですよエンジニアとしての最初の職場がヒューレット・パッカードの計算機部門でした.ヒューレット・パッカードにとって,この部門こそパソコンビジネスへの絶好の入り口となるものだったのに,安価な個人用のコンピュータを作ろうという私の提案は受け入れられなかったんです.それでサイドビジネスで小さな会社を始めたわけです.
当時は秀才は沢山いた。日本にもいた。その秀才がパソコン業界で活躍した。ただ、ウォズニアックのような傑出した天才はそうそういるものではない。秀才、天才は実業家に利用され金儲けの道具にされたのがこの後の歴史だ。

パソコンが消えたら...Apple本社の敷地にリンゴの木を植えたい
――今度のあなたの製品もApple社内で提案はしたんですか.
Wozniak Appleの人間はみんな口をそろえてApple社ではやらないだろうと言いました。自分でもそれは分かっていましたけどね.つまりコンピュータではない商品はやらないというのです.Apple社の製品と関連していないなとダメだというのです。社内のどこへ行っても答えは「ノー」でした.
 そのかわり「自分でやる分には認める」という署名入りの許可書をもらいました.ヒューレット・パッカードのときと全く同じ状況ですよ、口では「成功を祈ります」とか「ウォズが新しい分野を切り開くのをぜひ応援したい」と言ってくれましたけどね.だけど,コンピュータに関係ないのは会社としては受け入れない.
――それで,自分で始めることにした.
Wozniak そう.とても素晴らしい製品なのに,Appleのような会社が手を出そうとしないのは非常に残念なことでした.でも,Appleは5年前にすでに変質してしまっていたのです.新しい方向へ進むことは、5年前の時点でもう不可能になってしまっていたのです.
 何でもパーソナルコンピュータ,パーソナルコンピュータ...と,自分たちの頭の良さを自慢したくてね.新しい方向に投資をしようとしなかったのは,本当に残念でした.Appleは株を公開してから4年半の間に,企業としての価値を半減させてしまったんですよ.株主にしてみれば,持っている一株当たりの資産が半分になってしまった.純資産で半分ですよ、この間,企業としてはまったくうまくいかなかった.
 本当にひどいですよ.上げた利益を桃やリンゴの果樹園にでも投資した方がよっぽどマシでしたね。このままハイテク産業の不況が続いて,パーソナルコンピュータが消えていくようなことでもあっツたったカラクティーンにある本社の建物をいくつか買って,それをみんな壊して,かつてそこで働いた社員一人一人の記念にと,リンゴの木を一本ずつ植えようかと思っているくらいですよ.

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この辺にまで来ると、普通の人間つまり私たちの愚痴と変わらないところまでレベル低下している。しつこいけどウォズニアックの製品、私は覚えていないのだ。その点ではAppleの経営陣は正しい判断をしたのではないか。

誰も信じられないような夢を描くことが大切
――ところで,日本に来られたことは?
Wozniak まだです.この9月に初めて行く予定です。世界の10人の優秀な若いリーダーの1人に選ばれたとかで,スピーチも予定しています.
――最後にお子さんのことを少し.
Wozniak 子供は二人います.近所ではとても評判のいい父親で通っているんですよ.雑誌や新聞にも(子育てについて)ずいぶん書かれています。子供はできるだけ外に連れていきますし,よくお話も聞かせます.想像力をとても大事にしています。
 サンノゼ市の「こども発見博物館」にも多額の寄付をしました.この種のプロジェクトはシリコンバレーではここだけです。同じお金を使うなら,大人のためよりも子供の文化的なイベントのために力を注ぐべきだと訴えてきました.若い人が集まるところにはどこでも出かけて話をします.大人より子供の方がずっと身近に感じます.どこへ行ってもテーブルの下に潜って、子供たちと遊ぶのが好きなそういう人間なんですよ.
――夢を見るというのは,あるいは若いうちの特権かもしれませんね.大人になってから夢を見るというのはちょっと生臭くて、
Wozniak そうですね.自分の子供に一番教えているのが,夢を見ることの大切さです.誰もが信じられないようなストーリーを考え出す,とか.うちの子供は勉強はあまりできるほうではありませんが,想像力は大したものです.それが一番大事なことですよね.
――実は私たちが去年書いた『はじめてのあっぷる』という本にうちの子が書いたお話をのせたんです.ワープロの例題として、男の子がいてリンゴの木と仲良しで,そこにクマが襲ってくる。男の子はリンゴの木に登って,リンゴの木がクマと戦って守ってくれる.なんでもない話ですが、
Wozniak そう,それとまったく同じような話を毎晩子供に作ってやって聞かせているんですよ毎日ひとつ新しい話をこしらえてね。
――大人の世界はなかなかそうシンプルにいかないので困りますが、今日は本当にお忙しいところを貴重なお話をどうもありがとうございました.
1985年7月5日

カリフォルニア州ロスガスト市にて

この頃はまだヒッピーのような仙人のような世捨て人のような風貌にはなってなかった。その後一体なにがウォズニアックを変えていったのかASCIIをスクラップしていくと分かるだろうか。

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