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マイクロソフト日本法人(月刊ASCII 1986年6月号2) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

ASCII EXPRESS のトップ記事は、マイクロソフト日本法人の代表取締役社長 古川亨 氏のインタビューだった。
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当時のインタビュー記事をスクラップする。

動き出した米国マイクロソフト日本法人

マイクロソフト(株)代表取締役社長 古川亨人

 まさに,時の人である.5月1日に本格的な業務を開始したばかりの,米国マイクロソフト社の日本法人・マイクロソフト((株)の代表取締役社長,古川享氏.
 米国マイクロソフト社が日本法人の設立を宣言したのが2月半ば、それから約1ヵ月あまりが過ぎた4月始め,その社長の椅子に誰が座るのかと各方面からの注目が集まるなかで,アスキーから出向という形で就任が発表された就任の発表直前まで混沌としていたというとオーバーだが,かなり急な決定だったようだ.
 そして,その後,1ヵ月足らずのうちにMS-DOS,MS-NETなどのシステムにかかわる業務をアスキーから移管し,新会社社長として業務を開始した.まだ,Multiplanなどのアプリケーション関係の引き継ぎは終わっていないが(7月1日より移管),独自の研究部門を設置するなど、意欲的な展開をこころざしている。
― マイクロソフト(株)の社長を引き受けることになった大きな理由はなんですか?
古川 この話を引き受ける気になったのは,日本法人ということで,従来の販売代理店とは違った役割を果たすことができるということと,代表権を持った社長職が与えられるということですね.
 単なる販売代理店ではないということで,研究開発部門であるR&Dセンターの設置も実現できたわけです.また,代表権を持ったということで,人事などへの決定権を持つことになるわけです.
 この両者は,日本法人を経営していくのに欠くことのできないものだと思っています.それは,米国からきた製品を単に日本語化して市場に出すということだけでなく,日本の環境に合うように改造することもできる,ということです.また人事権に関して言えば,直属の私が管理するということで、社員が安心して仕事ができるように配慮しました。日本法人に勤務する社員については,管理している私が一番わかっているわけですから,米国本社が人事権を持つというのは不自然であり,遠隔操作されるようでは社員に不安を残すことになると思うのです。
― R&Dセンターの活動内容はどのようになりますか?
古川 R&Dセンターでは、大きく分けて3つの仕事をします.それは,先ほども述べたように、1つは米国マイクロソフトから入ってきた製品の日本語化,1つは日本の環境にマッチしたソフトウェアの開発,そして残る1つは,ニューメディア関連の製品の研究および開発,という具合になっています.日本語化に関しては,従来アスキーで行っていたことの引き継ぎ業務ということになりますが,あとの2つは,同センターで新たに開始する業務と言えます。
 日本の環境にあったソフトウェアの開発には,十分な市場調査をしていきます.その結果,米国からきた製品をただ日本語化するだけではなく、日本なりの改造を加えることもあると思います。必要だと思われる改造は,積極的に行っていく方針です.また二ューメディア関連では、CD-ROMなどのアプリケーションの開発に興味がありますね.
 このセンターは、ビル・ゲイツ直属のセクションになっていますので,ここでの成果は、日本国内だけに留まらず,もっと広い世界に影響を与えていくことも考えられます.そして,そういう研究開発を数多く生み出していきたいと思っています.
― 特に,どの分野に力を入れていくことになりますか?
古川 どの分野も均等に研究開発を進めていくつもりです。人に関しても,資金に関しても同様に均等に割り振りたいと思っています.そして,社員に対しても,この3つの分野のどれにも同じように参加するようにローテーションを考えるつもりです。当初、社員は25名からスタートするのですが,年内には40名にまで増員する予定で,このうち,12,3人をこのセンターに配置する計画です.
― ユーザー・サポートに関して,以前と変わるところはありますか。
古川 それはありません.アスキーで管理していたユーザーリストは、そっくり引き継いでいます.またアプリケーション関係の移管は6月末となっていますので,その間は従来どおりアスキーがサポートすることになりますが,商品に区別はなく,今売られているものも、7月以降に売られるものも同じものです.そしてマイクロソフト(株)では,これまでのユーザーに関しても,これからのユーザーに関しても全く同じようにサポートしていきます.
 最後に,余談ではあるが,古川氏は本誌とも深い関係を持つ人物であることを紹介しておく。創刊当初はアメリカ駐在員を務め海外通信を担当,1979年5月号から10月号までの6ヵ月間は副編集長を務めていた.
35年前MicrosoftとASCIIの蜜月関係はこうして終わったわけで一つの時代が終わったなぁという感想だった。
これから先しばらく一太郎とLotus 1-2-3が市場を支配していたので、この当時OSとコンパイラしかないMicrosoftの伸びしろは少ないと思っていた。MS-DOSの時代まだ Word も Excel も見なかった。
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