特集これからのコンピュータ環境(月刊ASCII 1985年10月号4) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]
この号の特集「これからのコンピュータ環境」は読み返すに値するなかなか良い記事だった。
35年前はコンピュータの発展をワクワクしてみていた。あの頃の空気感が再現することはないだろう。
35年前から三次元回路の研究開発が進んでおり、当時は日本のエレクトロニクスメーカー11社が研究に参加していた。35年前の日本は技術立国日本であった。
手続き型言語 Mesa 全く記憶にない。
坂村健氏の BTRON 。私の周辺での感想は、米国(マイクロソフト)に潰された国産OSだった。
結局手にすることがなかったBTRONだが、「実身」、「仮身」という単語は覚えている。
ホームバス。これは、35年後無線ランによって実現している。概念が登場して実用的になるまではデバイス等の進歩が必要だった。
有線でやろうとすると家の工事が必要であり、その点が導入を困難にしていた。
写真をスクラップしておく。
35年前はMS-DOSは市販ソフトにバージョン2.11がバンドルされていた。
Ver. 3.1 が当時販売されていたが、一太郎などの市販ソフトに2.11がバンドルされていたのだから、わざわざこれを買う人は少なかったのではないか。
上の図1にXENIXサーバがあるのがなんとも残念だ。35年前そんなに期待されていたか?
MS-WINDOWSは今…
図と本文の一部をスクラップする。
35年前のWindowsは画面を重ねて表示するオーバーラップウィンドウではなく、画面分割のタイリングウィンドウだったし、シングルタスクなのでフォーカスしているウインドウしか動いていない。まったく中途半端なものだった。
本文の最後を見ると全然だめだろうと予想していたことが感じられる。執筆者は、きちんと未来を読んでいた。ただ、「ここでもXENIXかい」とあきれてしまう。この点は読みを外している。
35年前のモデム。
300bpsは0.3Kbpsで0.0003Mbpsだから速度は今の1万分の1程度。今なら1秒でダウンロードできるものを2時間45分程度かかるということになる。昔は文字しか送らなかったので通信ができるというだけでも素晴らしかった。大体、通信しながら画面に流れる文字を読むことができたほど遅かった。
35年前はコンピュータの発展をワクワクしてみていた。あの頃の空気感が再現することはないだろう。
35年前から三次元回路の研究開発が進んでおり、当時は日本のエレクトロニクスメーカー11社が研究に参加していた。35年前の日本は技術立国日本であった。
手続き型言語 Mesa 全く記憶にない。
坂村健氏の BTRON 。私の周辺での感想は、米国(マイクロソフト)に潰された国産OSだった。
結局手にすることがなかったBTRONだが、「実身」、「仮身」という単語は覚えている。
ホームバス。これは、35年後無線ランによって実現している。概念が登場して実用的になるまではデバイス等の進歩が必要だった。
有線でやろうとすると家の工事が必要であり、その点が導入を困難にしていた。
写真をスクラップしておく。
35年前はMS-DOSは市販ソフトにバージョン2.11がバンドルされていた。
Ver. 3.1 が当時販売されていたが、一太郎などの市販ソフトに2.11がバンドルされていたのだから、わざわざこれを買う人は少なかったのではないか。
上の図1にXENIXサーバがあるのがなんとも残念だ。35年前そんなに期待されていたか?
MS-WINDOWSは今…
図と本文の一部をスクラップする。
35年前のWindowsは画面を重ねて表示するオーバーラップウィンドウではなく、画面分割のタイリングウィンドウだったし、シングルタスクなのでフォーカスしているウインドウしか動いていない。まったく中途半端なものだった。
本文の最後を見ると全然だめだろうと予想していたことが感じられる。執筆者は、きちんと未来を読んでいた。ただ、「ここでもXENIXかい」とあきれてしまう。この点は読みを外している。
35年前のモデム。
300bpsは0.3Kbpsで0.0003Mbpsだから速度は今の1万分の1程度。今なら1秒でダウンロードできるものを2時間45分程度かかるということになる。昔は文字しか送らなかったので通信ができるというだけでも素晴らしかった。大体、通信しながら画面に流れる文字を読むことができたほど遅かった。
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