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スパコン・デゼニランド(月刊ASCII 1985年5月号7)TBN [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

TBN(Tiny BASIC Newsletter)で「スーパーコンピューターとは何か」という記事がありそこでは「ピーク性能が100MFLOPSを超える計算機」だと35年前の認識が書かれていた。じゃ、35年後の今使っているパソコンはと思い
「パソコン 100MFLOPS」でググってみたら
もしかして:パソコン 100GFLOPS
もしかして:
パソコン 100GFLOPS:
と「単位間違えてないかい」と親切にアドバイスされました。はあ。

wiki で FLOPS を見ると
https://ja.wikipedia.org/wiki/FLOPS#PC_(Intel)

Core i7 (Nehalem) 4コア 3.33GHz 53.28 GFLOPS
Core i7 (Sandy Bridge) 6コア 3.3GHz 158.4 GFLOPS
だった。
Sandy Bridge おじいさんである私は、今は35年前のスパコンの何十倍も速いスパコンを使っているんだ。
メモリだって32G積んでVirtualBoxでUbuntuを使いながらWindowsも使っているこの環境は35年前のスパコンを使っているようなものだったと感激している。

35年前のスーパーコンピューターの解説をスクラップする。
ASCII1985(05)d03TBNスパコン_GR520.jpg
ASCII1985(05)d03TBNスパコン_表1_GR520.jpg
35年前のスーパーコンピューターの性能を示す単位は MFLOPS ,Mbytes だった。今はその1000倍のGigaを使っている。

ASCII1985(05)d04TBNスパコン_GR520.jpg
ASCII1985(05)d04TBNスパコン_写真1_W520.jpg
ASCII1985(05)d04TBNスパコン_写真2_W520.jpg
当時のスーパーコンピューターの大きさは今のパソコンの何倍だろうか。1000倍だろうか。

高速化の技術
ASCII1985(05)d05TBNスパコン_GR520.jpg
ASCII1985(05)d05TBNスパコン_図_GR520.jpg
35年後のパソコンに使われている技術はどれなのか分からない。

ASCII1985(05)d06TBNスパコン_GR520.jpg
ASCII1985(05)d06TBNスパコン_写真_GR520.jpg
上の写真ではLSIチップ36個、36000ゲートを実装とあるが、
http://www.ckp.jp/workshop2012/files/201207_CKP-WS_takei.pdf
の2012年の資料で第3世代のCoreプロセッサーではトランジスタ数が14億個だとのこと。
なんと贅沢な時代に生きているかとはるか遠くまで来たような気持になる。

TBN(Tiny BASIC Newsletter)の記事に激しく同意するものがあった。
ハドソンソフトが出したアドベンチャーゲームでデゼニランドのことについて書いてあった。本当にそうだったんだと35年後の今でも怒りが湧き上がってくる。当時、相当評判悪かったはずだ。と言っても今のようにインターネットがなかったし、パソコン通信もそんなに広まっていたかったし、メディアと言ったら雑誌しかないわけで、広く深くユーザの中で怒りが沈殿していたと思う。
記事ではかなり、薄めて書いてあり、編集側の弁護もあった。
これは、記念にスクラップする。戒めとすべきだ。
ASCII1985(05)d01-d02TBNデゼニランド_W520.jpg
アドベンチャーゲームの非論理構造
DearEditor:
 久し振りにアドベンチャーゲームを解きました.その名も「デ〇ニラ○ド」このアドベンチャーゲーム、おもしろいことはおもしろいのだけれど、今一つ熱中できない.解き終わった時の感動が薄いのです.
 「なぜだろうかー」と考えてみると、第一にコマンド探しのパズルのようになっている.第二に,出来事が,それとなんの関連もないような所でおこる,ということが浮かんできました.第一の方は,現在,かなり改善されてきているようで,また,コマンド選択方式という,ある程度強引なコマンド探しができないような入力方式がとられる場合もあり,まあこれはいいとします.
 問題は第二の方で,全部が全部というわけではないですけれども,一部,単なる謎解きという,ストーリーがあまり無いアドベンチヤーがあります。例えば,カンオケの中に磁気カードがあるとか,レーザー光線の中にヘびを投げ入れるとショートしてレーザーが止まるとか,あまりにも現実ばなれした事が多いと思います.
 いきあたりばったりのゲームでは謎を解いた時、一瞬喜びますが,全体としてはつまらない物になります.しかしストーリーの上に成り立ったゲームは,やはりおもしろいと思うのですが,どうでしょうか.
宇都宮市 沼部俊彦

 そのとおりだと思います.過去に2本のアドベンチャーゲームを作った者として,耳に若干の痛みを感じる反面,この2つの問題の解決が決して容易なものでないことを指摘する必要も感じて,これを書いています.
 まず、第一の問題,コマンド探しのパズルのようになっているという点ですが,これは、実は、十分に自然で自由な行動をプレイヤーがとることができないことが原因だと思います。「コマンド」と言ってしまうとまさにコンピュータを操作するための命令になってしまいますが,本当は,アドベンチャーゲームのプレイヤーは,入力する文字列を介してゲームの世界を探検しているわけです.それが探険や冒険と感じられるからこそ,アドベンチヤーゲームは他のゲームとは一線を画した独自のジャンルを築いているのです.
 ところが,この行動の自然さを追究するためには、究極的には、プレイヤーの入力するあらゆる文字列(もちろん言葉として意味のあるもの)に対して,それに従った行動を実現しなければなりません.これはすなわち人間の使う言葉(国語を問わず)の意味をコンピュータに理解させることにほかならず,現在世界中で一流の研究者たちが取り組んでいてなお果たせない,もっとも困難な人工知能研究の一分野,「自然言語理解」の難問に直面することになります.
 それだけではありません。仮に自然言語理解ができたとすると、今度はプレイヤーが望むあらゆる行動のそれぞれを,ゲームの上で実現しなければなりません。このためには,現実世界(もしくはゲームの設定に従った架空の世界)のあらゆる事象をコンピュータ上に表現しなければならないわけです.困難さは自然言語理解には及ばないものの,これも大変な労力と、おそらくは膨大なメモリを必要とすることでしょう.
 ここに挙げた2つの難関自然言語理解と世界モデルの構築は,究極のアドベンチャーゲーム完成までの間(5年から10年,あるいはもっと長い間),それを適度に簡略化することを作る側に強いています.さらにメモリが狭い,つまりディスク等の補助記憶装置を使わないで,主記憶だけで作らなければならないとなると,ゲームデザインの自由度は激減してしまうことになります.プレイヤーの入力を適度に解釈し,ゲームの成立に必要なだけの部屋(場所)を用意し,それらの表現に必要な文章または絵を入れると,数十K程度にはすぐになってしまいます.
 確かに個々の問題の解決については、これは決して困難ではありません。しかしながら,それによって新たな問題が発生する事態が予想され,その副作用をも防ぐとなるとなかなか大変なことになると思えるのです.2つの問題は連関していますので,順に考えてみましょう。
 このような状況では,ゲームを複雑かつ難解にして,かつ論理的な展開をみせるようにすることはほとんど困難になってしまいます.その結果,作者はゲームの謎を少しでも深めようと,単に人が思い付かないような組み合わせばかりを選ぶようになるのでしょう(第この問題)「南青山」でも、最初に部内で動きだしたときには,もっとたくさんの物があり,もっと豊富にメッセージを出していました.しかし何といっても大きすぎ,家の中にはろくな家財もないようになるまでに削らなければなりませんでした.そんな経験があるので,私には他の作者の苦労が想像できるのです.
 上に挙げた2つの難関が克服されるまでのアドベンチャーゲームには、どうしても多少の不自然さがつきまとうことは避けられませんただしそれは、推理小説の主人公が,普通なら一生に一度も出会うことのない殺人事件に,何度も「偶然に」出会うような種類の不自然さであるべきでしょう.つまり避けられないものではあるけれども、度を過ごせば嫌われるということです.
 推理小説であれば,いかに不自然さを感じないように表現するか,またいかに偶然を必然と思わせるかは作者の筆力にかかっています.それと同様に,アドベンチャーゲームでも表現の工夫や舞台の設定などに心を配れば,かなりの改善ができるはずです.
 例えば,そもそもありえないような不思議の世界であれば、怪物や魔法が飛び交っても、それは当然であり自然です.また,普通の家に地下牢や秘密の抜け穴があったのではおかしいかもしれませんが、忍者の住む屋敷なら無いほうがおかしいでしょう.このように,ゲームの持つ不自然さを包含した世界モデルを設定することによって、相当程度,不自然さを改善することができます.このあたりは,SF小説と荒唐無稽さの関係に似ています.
 沼部さんの挙げた2つの例は,これに必ずしも成功してはいないようですね.私には残念ながら,カンオケの中に磁気カードが入っていて当然の世界は想像できませんし,レーザー光線のショートも,荷電レーザーといつたものを聞いたことがないので納得がいきません。そして,あるアドベンチャーゲームの謎がこのような非論理的、つまり推理が役に立たないものばかりであると,それを解くということは必然的に「強引なコマンド探し」になってしまうわけです.
 あえて弁護すれば、日本でアドベンチャーゲームが作られるようになってまだ3年に過ぎず,経験が足りないというほかありません.といっても,世界で初めてアドベンチャーゲームが作られたのがいつかは知りませんが.
 かなり(5年以上?)前にアメリカで作られた,ある割によくできたアドベンチャーゲームの話です.地下迷宮をさまよい歩いて宝物を集めるというよくある設定のそのゲームに,どうみても役に立ちそうにない、ごくありふれたレンガと,なにやら思わせぶりな輝<針金がありました。ついにこれらを使いこなすことはできませんでしたが,後日,実はこの2つは爆薬と導火線で,あるただ1ヶ所の宝物をとるのに使うのだと知ったときには、私も愕然としたものです.レンガは武器庫にあったわけではないし,針金だって地面に放りだしてあったのです.こんな謎,というよりトリックを解くためには、およそすべてのものに火を付けて回る、などといった解き方をしなければなりません.というより、作者はそういう解き方を要求しているわけです.
 こんなのはカンベンして欲しい,と,私だって思うのであります.
(高橋)

35年後は、このようなアドベンチャーゲームはなくなりRPGとして進化し、不条理な謎解きはなくなってきた。ただ、攻略法(裏技)が本やネットで紹介され、それを読みながらクリアしていくという作業ゲームになってしまった。もちろん、攻略法を見ずに自力で解いていくのが基本であるけれど。
今のゲームのリセマラ(リセットマラソン)とかは苦行ではないかと思う。
好みのステータス等を得るために何度も繰り返すのが楽しければそれでいいけど課金で時短するのもありだと思う。

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