パソコン雑誌を捨てる(月刊 ASCII 1982年上半期) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]
1982年1月号から6月号の表紙は
1982. 1 [ホームアプリケーション]
1982. 2 [マイクロマウス]
1982. 3 [コンピュータオセロ]
1982. 4 [16ビットCPU]
1982. 5 [コンピュータホビーは頭脳と知性のスポーツ]
1982. 6 [コンピュータによる知性空間の拡大は(以下略)]
裏表紙は NEC の独占がなくなった。書籍の価格は全号 500円だった。
1982. 1 [NEC]
1982. 2 [富士通]
1982. 3 [NEC]
1982. 4 [富士通]
1982. 5 [沖電気]
1982. 6 [富士通]
表紙見開き広告は Apple が独占した。
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資源ごみに出す前に、読み返してみる。
【月刊 ASCII 1982. 1】
このときはまだCDが登場していなかったが解説記事があった。ASCIIはこうした時代を先取りした雑誌で読みごたえがあった。
ハードウェアとソフトウェア両方の技術能力のある人達が当時マイコン界には沢山いた。
ゲスト出演のマッピーとニャームコ(上図3番目の奥にいる赤い機体)が可愛い。
【月刊 ASCII 1982. 3】
今日中国は米国の敵となり貿易戦争が起きているが、この記事の予言が当たるには30年以上もかかっている。時代の進歩は早いようで遅い。50年前に人類は月面に行ったのに、現在は地球近くの軌道にしか人類は行っていない。アイデア、技術はあっても経済が、金がない。面白味のない時代になった。予算が縮減され、金による制限がきつい、技術的にはこんなにもつまらない時代になるとは当時は考えていなかった。
なお、当時、韓国は姿形もなかった。
家庭用VTR規格を国際統一
国産4社とフィリップス社が合意?
適合機種1983年後半に発売予定!?
との見出し記事での記事であるが、結局VHSとβがそれぞれ残り、統一されることはなくVHSはS-VHS、βはEDβへと高画質化を進め、撮影用ビデオカメラの小型カセットも結局メーカーの話し合いで規格統一されることはなく、βが市場を失ったことでVHSに事実上統一された。
【月刊 ASCII 1982. 4】
コンピュータゲームでもドラゴンは定番のモンスターなのは、この時代に始まったのか?
この画面、ファミコンで似たような画面を見たような。ファミコンのソフトはこれにインスパイアされた(パクった)のか?
当月号は16ビットCPUの特集だった。図にはインテルの80286どころか8086,8088という名前すらない。iAPX86とiAPX88だったんだ。当時はインテルCPUは低性能なので16ビットCPUの覇者となるとは想像してなかった。
CPUのピン配列対比図。比較してみると楽しい。大人の事情(なるべく従来からの周辺部品を使えるようにとの営業からの要請)による技術者の工夫が(苦悩)が味わい深い。8086は当時は嫌いで嫌いでたまらなかったけど大人の事情でしょうがないんだよねということが30年以上もたって分かるようになった。過去の資産がありすぎて、捨てることができなくて、こう(このような図に)ならざる負えない。可哀相なCPU。だけど天下を取った。
4月号にはエイプリルフール企画があり、巻末に天地逆形式で記事があった。
【月刊 ASCII 1982. 5】
なんだこれ!?は8Mbyteミニフロッピーカートリッジ。サンプル価格618,000円、媒体5枚1組35,000円。もう一度「なんだこれ!?」
当月号もは16ビットCPUの特集だった。やはりインテルのプロセッサ系統図にはiAPXが頭についた名前だった。
1980年7月から1981年6月の1年間では68000の採用数が8086を上回っていた。
【月刊 ASCII 1982. 6】
出たーっ!!世界最高額?の椅子!めっちゃくちゃ格好いいコンピュータ。高速化のため配線を短くする必要があるためにこの形にした。必然性のあるデザイン。単にデザインのためにデザインしたフォルムに必然性のない見栄えだけの製品デザインが多い中、このデザインは好きにならずにいられない。
使ったね裏レジスタ。Z80で高速なプログラムを作るときには必須。変数は可能な限りレジスタに格納して使う。メモリアクセスは遅いからね。1クロックで切り替えできるので裏レジスタを利用することによる遅延は少ない。
こういったテクニック悪く言えば姑息な手段が好きだった。
こうして記事にしたことで 1982年1月号から6月号の ASCII を資源ごみに出せる。
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